女正月

今年最初の生活文化塾のイベントは女正月ガラパーティーという素敵な企画だった。

発酵・調味研究家の筒渕信子先生とリストランテ イルチェントロひらまつの南シェフとのコラボである。

昨年の七夕、重陽の節句に続く第三弾。

南シェフとは円山のバエレンタル開店時からのおつきあいである。

筒渕先生がお作りになる調味料を毎回みごとにメニューに取り入れ、わが家から持ち込む器でサービス・・・

そんな夢のようなわがままを毎回叶えていただいている。

食卓や部屋の装飾もすべてこちらでさせていただき、

自宅の延長の空間のように自由な演出を許していただく贅沢さ。

長いおつきあいとはいえ、阿吽の呼吸でお仕事をごいっしょできる幸せには本当に感謝である。

筒渕先生の発酵調味料に南シェフは多大な関心をお持ちになり、繊細なお料理に生かしてくださることはなにより嬉しい。

過日はごいっしょに味噌作りも経験した。

ジャンルを超えておいしいものを追求するプロの料理人の姿は

毎回大勢のお客様を感動させる。

さて

女性のための年中行事はといえばひな祭り。海外のミモザの日を

日本でも、という動きもあるが、しっくり来ない。

女正月は小正月の行事と重ねて祝われることが多い。その前夜や当日、年末から続いた多忙な正月行事の骨休めの日として、女性たちは家事労働から解放されて、親しい物同士集い、夜を徹して飲食を楽しむというものなど、各地に楽しい催しがあったようだ。

日本の行事を大切にしたい。クリスマスに続きバレンタインデーも目前だが、日本にはそれぞれの土地に歴史のある行事がある。

節分も近い。大人たちが大真面目に行事を楽しむことが一番の文化の伝承力だと私は思っている。

 

 

スプーンの位置考

大学の講義、年明けの初日。

つくづくつくづく、私は教えることが好きなのだと確信。

とりわけ今日は遺伝子組み換えについて力説。

生物も教える立場から、その研究の重要性と意義を

力こぶ振りかざして語った。

これだけイチゴも葡萄も米もあれこもれも品種改良しつづけてきて

遺伝子組み換えにだけ異様な拒絶。

このあたりはまた場を変えて。

 

気持ちを落ち着けて紅茶論の続き。

写真はロンドンの某ホテル。

スプーンの位置にご注目を。

かつて訪ねたカナダのアフタヌーンティーで有名なホテルでは

ソーサーの右側に斜めに置かれていた。

見たことのない置き方だったので、

この置き方は決まっているのかとサービスの方に質問したところ、上司が次々に登場して、なにか失礼があったかと逆に問われて仰天した。

日本ではスプーンの置き方にもこだわるので、初めてみる置き方なので聞いてみたと説明すると、慣習としてやっているだけで、どうでもよいはずだとホテルの偉い人たちみんなに笑われた。

その後もいろいろなところで観察しているが、

「スプーンは手前に置く」というのはどうも日本の特徴のような気がしている。

 

今回の旅ではついに一度もソーサーの手前に置くパターンには出会わなかった。

 

つまり

どうでもよい・・・のだろう。

①手前に置く

②左側のカップの持ち手をつかみ、右手のスプーンでかき混ぜる

というような「作法」は誰がいつ提案したものか。

 

そもそもカップの持ち手は右か左か。

それも100%どうでもよいはずである。

絵柄による。

右利きか左利きかによる。

 

 

今私は勇気をもって書いている。

30年以上こんな仕事をしていると

自信満々のマナーの先生たちに大勢お会いし、

たぶん私は相当数の国内外のマナーや作法の本を読んできた。

それらに書いてあることに異議を唱えるつもりは毛頭ないので

「どうでもよいはず」と綴るのには少なからず勇気が必要である。

 

だが

使いやすければよいはずだ。

少なくともフツーの生活をする大多数の私たちはそれでよいはずだ。

だがそれでも、

「先生、正しくはどっちですか?」と

必ず質問される。

 

日本人はなんとしても

「正しいやり方」「正式」を知りたいようだ。

それがなければ「独自の正式」を作って守るまじめな人たちのようだ。

これは紅茶に限らない。

もっと自由に・・・。

それが一番むずかしい。

 

 

 

 

 

紅茶文化再考

2017年のクリスマスにロンドンに着いた。

次女を同行し、リバプールからは長女が合流。プライベートな旅ではあったが、仕事につながる目的はあった。

紅茶文化と「おもてなし」をキーワードにロンドンとパリの現状視察である。

1980年代の後半、何度かロンドンを訪ね、紅茶文化の調査をした。と言って一般家庭ではなく市内のカフェやホテルでのアフタヌーンティー、ハイティーなどである。

とき同じくバブル期の日本にも紅茶の大ブームが到来した。

以来30年、嗜好品としての紅茶とその文化に少なからぬ関心を持ち、その普及や提案にも関わってきた。

 

さて今のロンドンは・・・と予約したホテルのアフタヌーンティーは写真のとおり。

ある意味で予想通だった。

イギリスは紅茶の産地ではない。

そこにそれを楽しむ文化が育ち、それを日本が受け入れた。

受け入れたあと、我々はそれを洗練し過ぎたのではないか。

紅茶は嗜好品である。美味しく楽しめればよいはずだが、

日本人の手によって、昨今の日本のアフタヌーンティーは

磨かれすぎたかもしれない。

三段重ねの器は、高さの演出もできるが場所の節約という機能をもつ器である。それ以上でも以下でもないはずだが

日本での美しい盛り付けは本場をはるかに凌駕してしている。

器は、ポットは、サンドイッチは・・・などと決まり事もたくさん

作ってしまったのではないか。

紅茶文化の変遷は興味深い。新たなテーマを得た気がする。

すこしずつ書いていきたい。

あ、写真の向きがおかしい・・・ま、いいか。

 

 

私の仕事

若い人たちに告ぐ。

今やりたいことは、生涯やりたいこととは違うかもしれない。

やりたくないことになってしまうかもしれない。

やりたくてもできなくなるかもしれない。

やりたいことがみつからなくて焦っているかもしれない。

でも

気にすることはない。

やれることをするだけでよいのではないのかしら。

 

気負い過ぎたり、思い込み過ぎたり、がんばり過ぎて

ヘトヘトになってしまった大人や、

自己評価がまるでできなくなった大人、

理想通りの自分になれず、自己嫌悪でうなだれる大人が

まわりにたくさんいるからだ。

その一方、若い頃から何の宣言もせず、

かっこいい狼煙も上げず、地味に淡々と

目の前のことをやっていた人が、とんでもなく素敵な仕事をしていることもあるのだから。

この年齢になるといろんなことが見えてくる。

だから、もう少し、私にできることをしようと思う。

大学では生命科学、食生活論、環境学

自宅サロンでは食卓美学、おもてなし塾、ライフデザインスクール

そして来る年は、大人のためのおおまじめな勉強の場をつくろうと思っている。

子供のクラスもぜひ。

元気だなあと思う。

仕事をしているときはいい顔をしているのかもしれない。

 

加齢対策のためにも、歩きつづけようと思う。

マダムこおろぎ、脚は6本。まだまだ飛び跳ねられそうな気がしています。

 

 

 

グラスの力

クリスタルがぶつかる音はもちろんよいのですが、

ガラスの重いグラスも素敵です。

昭和の懐かしいグラスなど、ワクワクします。

さて

食卓を作るとき、脚付きのグラスは必須。

この「脚」と言うのは椅子でもテーブルでも、人間でも同じ。

どのくらい隠すか、見せるか。

カジュアルになるかフォーマルになるか、脚できまります。

今回の食卓美学のレッスンでは、ジンジャエールとホットワインを

グラスで楽しみました。4個、5個、6個と揃えた日もありますが、今は気に入ったものがあれば、1個、あるいは2個ずつ買うようにしています。

家庭での家族の食事でもお客さまのおもてなしでも、みんな違うグラスというのも楽しいものです。

古いグラスの展覧会、やりたいな・・・と今考えています。

あくまでも懐かしい古いガラスのグラスに限って。