ノーベル賞を受賞された本庶先生が
教科書でも疑えということをおっしゃった。
SCIECE や NATURE などの最高レベルとされる科学雑誌の内容とて
十年たてば評価が変わるというようなご発言もされた。
全く同感である。
以前もこの欄に書いたかと思うが、
縄文時代のあとに弥生時代が来る・・・的なことを
義務教育でみな学んだと思う。
だがその期間も内容も今は全く違っている。
縄文文化は弥生時代もずっと存在していたし、
稲作が始まったとされる弥生時代も古く、長く続いた。
科学が進歩し、たくさんの「証拠」がでてきたのだ。
悲しいかな、
教科書が修正され書きかえられるには二十年以上かかるという。
なんだかなあ・・・と不満になる。
その二十年の間に、また新しい事実が見つかるかもしれない。
でもしかし
だからと言って
学んでも無駄だということでは断じてない。
知ろうと思いうこと、知りたいと思うことが大切であり、
その時わかっていることを、しっかり理解することが
人間の喜びである。
人間であることの醍醐味だと思っている。
脳は使ったほうがよい。
ワクワクしたり
緊張したり
感動したり
新しい知識を得ることや
考えることや
疑うことや
答えをだすことで
どれほど刺激を受けることか。
その刺激が生きるエネルギーになる。
基礎科学に対する理解が少ないということを
本庶先生も嘆いておられたが
それは今後に期待したい。
せめて
科学的でありたいと思う。
科学的な方法論や科学的な考え方に
私はこだわっていきたいと思う。
免疫、という言葉がクローズアップされたが
小さな不安が生まれている。
巷には根拠に乏しい「免疫療法」が少なからずあると聞く。
私も大切な友人を、信じられないような療法で失ったことがある。
あの時も免疫力アップという言葉を駆使して彼女は誘われて
近代医学を拒否してしまった。
免疫という言葉を乱暴に振り回してはいけない。
生き物に本来そなわっている力だが
そう簡単にどうこうできるものではないからだ。
今日も大学でそんな話を少ししてきた。
学生さんたちになにか伝わっていればよいのだけれど。
久しぶりに疲れた頭には
Zoe のカップケーキが嬉しい。
ハロウィンだという。やはり美味しい。