自分の役割はなんだろうと、
さすがにこの年齢になると考える。
どこかで誰かの役に立てたら嬉しい。
そう思っていた矢先、ある教育学者から問われた。
パンを食べると◯◯によくないと親たちが言うのだが、
それは本当ですか?
大真面目な質問だった。
ギョッとして即座に否定した。
だが、母親たちのネットワークでその広がりが強力で
落ち着きがないのも、あれもこれも、なにもかもパンが悪いというのだという。
そんなことはないといくら言っても、山ほど報告があるのだと言って聞かないというのだ。
ああまただ、と思う。
ちょうど大学の食生活論の講義で
フードファディズムという項目について話した時だった。
カラダにいいとか
カラダに悪いとか
食べ物を過剰に評価したり
期待したりすることの危険、
根拠もなく薬効を信じ込む危険
あるいは排除する危険を
フードファディズムという。
それがなくならない。
パンも
砂糖もダメだと言う。
本を執筆する際、ずいぶん調べたのだが、
今も同じか?
意地になって現状を調べてみて愕然とした。
実にもっともらしい説明があちこちで繰り返され続けている。
ああ
人類は
穀類とともに今日まで生きてきた。
米文化、小麦文化
粒食文化、粉食文化
それらなくして人類の歴史はありえなかった。
ここまで生きてきて
なぜ今、グルテンをかくも嫌うのか。
カラダに悪いほど、とはどれほどの量を言うのか。
ポーランドにもロシアにもチェコにも、モンゴルにもトルコにも
餃子とそっくりの同じ食べ物がある。
中国の餃子はどうするのか。小籠包はどうか。
日本のうどんはどうか。
そしてパンを食べるひとたちのどれほどにどんな問題があるのか。
科学的であれ。
頼む。ここは科学的であれ。
人類の文化を見よ。
苛立ちすぎてワインが進む。
これとて
ポリフェノールがカラダによいから私は赤ワインを飲んでいるのか?
断じて違う。
美味しいからである。
過剰な情報が怖い。
どうしたものか。
よき仲間たちと何らかの動きを始めなければ
若い母親たちが心配である。
未来が心配である。
ああ本当に・・・
何年たっても
なにも変わらない。
実に虚しい。
小麦粉の役割を米粉に託す必要はない。
小麦粉には小麦粉の役割がある。
小麦粉文化研究を丁寧に進めよう。
ああ
ワインがすすむ。