なかなか信じてもらえないが、私は極端な出不精である。
猛烈に人見知りである。
何言ってんの?!と一蹴されても
仕事がなければ家をでない。
じっとしていたい。
誘われてもなかなか外にはでない。
ランチにも行かない。
パーティーも苦手である。
まあ
家がおもしろい、ということもあるか。
わが家には小さな学校の図書館くらいの本があり、
手をかけなければならない資料もあふれている。
片付けなければならない書庫も戸棚もクローゼットも開かぬまま待機中だから、私は家の中で退屈などしない。
けれど
寺山修司が書いている。
書を捨てよ、町へでよう。
名著である。
机に向かって考えていても始まらないものがたくさんある。
巷には巷の美も真実もある。
今日はそんな日だった。
犬同士が兄妹という縁で、いつもやさしくしてくれる
Hiromiさんが誘ってくれた。
連れ出してもらって本当によかった。
家から歩いていける素敵なドッグカフェだった。
彼女のかろやかな明るい声は
重大な話題も、大問題も、さわやかに昇華した。
お互いの仕事があるので短い時間だったが、
緑の中で私は生き返った気がした。
ちょっとだけお姉さんの私は、
彼女のちょっぴり非科学的ないいくつかの発想にぴしゃりと釘をさし、もっと太い釘を何本も自分自身に突き刺した。小気味好い感覚だった。
人間の声をたくさん聞いて、姿を見て、
太陽の下を歩き、緑を感じることでしか
再生できないモノがある。
書は捨てられない。
捨てる必要もない。
だが、
机を離れよう。パソコンから離れよう。
ヒトに会おう。
ヒトと話そう。
書を抱えたままでよいから
町を歩こう。
寺山修司の時代、私は学生だった。
あの頃から私はどう変っただろうか。
そんなことも思いながら、
帰宅後の仕事がそれまでの何倍もはかどったことに
驚いている。