懐疑的であれ

なにか新しいお稽古事をしたほうがよいと思うのだが、

私ほど、習い事に向かない人間はいないと思う。

 

質問が多すぎる。

質問があっても質問しないで控えている奥ゆかしさがないので

先生にもクラスメートにも迷惑がかかる。

でもそれは、私の長い学生時代のせいだからしかたがない。

紆余曲折の末、三つの大学に在籍した。

合計十三年半。あれこれあったから十四年ほど。

最終的に卒業したのは四十八歳だった。

後半は必死に働きながらの勉強だったので

学ぶことにはとりわけ必死だった。

そして身につけた知識や技術は、無形の宝だという実感があるので、

なんであれ学ぶ場面になると嬉しくて貪欲になる。

 

次々に新しい研究や情報が発表されるので気も抜けない。

ワクワクする。

 

最近興奮したのは

縄文時代に関する報告である。

 

多くの人は縄文時代のつぎに弥生時代が来ると思っているのではないか。弥生時代に稲作が始まったと教えられてこなかったか。

稲作の起源に関しての諸説はミステリアスでおもしろい。

一般に、稲作が始まってから古墳が作られるころまでを弥生時代と呼ぶのだが、

この時代には縄文文化も貝塚文化もみごとに共存していたという。

え?共存してた?

そうか、だからか・・・と納得できることがいくつもある。

 

日本史で学んできたことの土台がグラグラする内容が次々に明らかになっている。

同様にiPS細胞が見つかった前後から

生命科学の進歩もめざましい。

今年度で生命科学の講義を引退する決意をした理由もその辺にある。

 

自分にはまだ知らないことがたくさんある、という

そのことを知っていたい。

忘れてはいけない。

「無知の知」とはソクラテス、よくぞ言ってくれた。

大御所になってはいけない。

専門家の立場で落ち着いてはいられない。

そしてなにより、

何かを知ることは脳の刺激剤として最高の「薬」だと思う。

学びつづけたいと思う限り、加齢にはゆるやかながらブレーキがかかる私は信じている。

よって、どの集団に言っても湧き出ずる変な質問ばかりしてしまう。

ごめんなさい。