人生で何度目の引っ越しだろうか。
といっても長年一人暮らしをしていた配偶者が、函館から札幌に移動するだけだが、それでも3DKにあふれる荷物を札幌の家で引き受けることになり、相当な大移動である。いや、移動の前の準備が大変である。空間をつくらなければならない。それはモノの処分ということ。
なにより苦手、なにより下手。どんなに誰にしかられようとできない。それをこの1ヶ月毎日少しずつやっている。これがつらい。全部おちついたら、アンチ断捨離、という本を書こうと思う。
荷造りのために久しぶりに訪ねた函館は、実に実に魅力的だった。函館はもとより魅力的な街である。私は函館で生まれて6歳まで過ごした。結婚後、父が一時函館で仕事をしたときも彼の地に縁を得た。そして19年前、広島から家族で函館に転居。つまり3度の函館ライフを経験した。
その3度目は長女は中学2年から高校卒業まで、次女は小学校生活を過ごしたのだが、私自身もまた、関西の大学の博士課程と研究科に籍を置き博士論文執筆に寝食を忘れた日々でもあった。
その6年間は自宅周辺の移動程度の日々だったこともあり、函館の魅力を謳歌する余裕がないまま、親たちの心配もあって配偶者を残して札幌に移動した。
彼の一人暮らしも13年に及んだのだと思うと感慨深い。
今回は次女も伴っての函館で、西部地区のホテルに滞在しながらの片付け作業になった。これがすばらしいホテルだった。シェアハウススタイルの部屋と普通のホテルがいっしょになっている。そのロケーションのよさから、期せずして函館のよさを見直すことになった。
なんて素敵な街!また来よう!と繰り返す私に、次女が苦笑い。
別れるときになってからよさを見つけてグズグズするタイプなのだという。たしかにそうだ。もっと早くこの魅力に気付いていたら、と思う。
さよならが苦手なので、どなたにも函館を引き上げることを告げずに札幌に帰ってきた。
実際、住む街ではなく、訪ねる街として、これからのほうが頻繁に函館を訪ね、仕事をしたり多くの出会いを楽しめそうな気がしている。
人生はそんなものだ。
目の前のモノやコトの
よさに気付くことは実にむずかしい。
ふるさとはやはり函館である。
私は函館で生まれた。