大学の講義、年明けの初日。
つくづくつくづく、私は教えることが好きなのだと確信。
とりわけ今日は遺伝子組み換えについて力説。
生物も教える立場から、その研究の重要性と意義を
力こぶ振りかざして語った。
これだけイチゴも葡萄も米もあれこもれも品種改良しつづけてきて
遺伝子組み換えにだけ異様な拒絶。
このあたりはまた場を変えて。
気持ちを落ち着けて紅茶論の続き。
写真はロンドンの某ホテル。
スプーンの位置にご注目を。
かつて訪ねたカナダのアフタヌーンティーで有名なホテルでは
ソーサーの右側に斜めに置かれていた。
見たことのない置き方だったので、
この置き方は決まっているのかとサービスの方に質問したところ、上司が次々に登場して、なにか失礼があったかと逆に問われて仰天した。
日本ではスプーンの置き方にもこだわるので、初めてみる置き方なので聞いてみたと説明すると、慣習としてやっているだけで、どうでもよいはずだとホテルの偉い人たちみんなに笑われた。
その後もいろいろなところで観察しているが、
「スプーンは手前に置く」というのはどうも日本の特徴のような気がしている。
今回の旅ではついに一度もソーサーの手前に置くパターンには出会わなかった。
つまり
どうでもよい・・・のだろう。
①手前に置く
②左側のカップの持ち手をつかみ、右手のスプーンでかき混ぜる
というような「作法」は誰がいつ提案したものか。
そもそもカップの持ち手は右か左か。
それも100%どうでもよいはずである。
絵柄による。
右利きか左利きかによる。
と
今私は勇気をもって書いている。
30年以上こんな仕事をしていると
自信満々のマナーの先生たちに大勢お会いし、
たぶん私は相当数の国内外のマナーや作法の本を読んできた。
それらに書いてあることに異議を唱えるつもりは毛頭ないので
「どうでもよいはず」と綴るのには少なからず勇気が必要である。
だが
使いやすければよいはずだ。
少なくともフツーの生活をする大多数の私たちはそれでよいはずだ。
だがそれでも、
「先生、正しくはどっちですか?」と
必ず質問される。
日本人はなんとしても
「正しいやり方」「正式」を知りたいようだ。
それがなければ「独自の正式」を作って守るまじめな人たちのようだ。
これは紅茶に限らない。
もっと自由に・・・。
それが一番むずかしい。