北海道文教大学 研究紀要 第30号 -2006年3月-
中矢 雅明、清水 千晶、荒井 三津子
Ⅰ.緒言─ 問題の所在─ 近代化の神話に見る食生活という偶像─ 栄養士と管理栄養士の養成施設では「食生活論」あるいは「○○と食生活」という授業が行なわれており,同名の教科書も多数出版されている。これは,1986年,栄養士法施行規則の一部が改正されたことに伴い1987年から栄養士および管理栄養士の養成課程に食生活論が加えられたためである。養成課程の食生活論では,食生態,食文化,食品,栄養,調理に関する知識を食生活として総合的にとらえるほか,栄養士・管理栄養士の役割や重要性を学生に理解させることも求められた。しかし各施設で実施されている食生活論の授業や出版されている多くのテキストの内容は,講義者や執筆者の専門領域に偏る傾向があり,同じタイトル研究論文食生活論の変遷でも学生が学ぶ内容に大きな差が生じている。食生活論の位置付けと方向性,および内容はいまだに明確になっていない。
その理由を考える前にまずわが国の戦後から現在までの食事情を概観する。マッカーサーが貧しい日本人の食卓を,パンと肉とミルクの豊かな食卓に変えるためにやってきたと述べて以来,日本の食の近代化は欧米化を意味してきた。1949年にはユニセフの供給物資による学校給食でパンと牛乳が日常生活に登場し,1956年にはキッチンカーによる油を使った料理の実習指導が僻地にまで行なわれ話題になった。1960年の国民生活白書は日本の食生活が欧米諸国に比べ劣っていることを明言し,洋風化すべきである旨を強調している)。わが国の食のベクトルは確実に欧米を向いて進んだ。ところが1980年以降,その欧米化に警鐘が鳴り始めたのである。