私の仕事

若い人たちに告ぐ。

今やりたいことは、生涯やりたいこととは違うかもしれない。

やりたくないことになってしまうかもしれない。

やりたくてもできなくなるかもしれない。

やりたいことがみつからなくて焦っているかもしれない。

でも

気にすることはない。

やれることをするだけでよいのではないのかしら。

 

気負い過ぎたり、思い込み過ぎたり、がんばり過ぎて

ヘトヘトになってしまった大人や、

自己評価がまるでできなくなった大人、

理想通りの自分になれず、自己嫌悪でうなだれる大人が

まわりにたくさんいるからだ。

その一方、若い頃から何の宣言もせず、

かっこいい狼煙も上げず、地味に淡々と

目の前のことをやっていた人が、とんでもなく素敵な仕事をしていることもあるのだから。

この年齢になるといろんなことが見えてくる。

だから、もう少し、私にできることをしようと思う。

大学では生命科学、食生活論、環境学

自宅サロンでは食卓美学、おもてなし塾、ライフデザインスクール

そして来る年は、大人のためのおおまじめな勉強の場をつくろうと思っている。

子供のクラスもぜひ。

元気だなあと思う。

仕事をしているときはいい顔をしているのかもしれない。

 

加齢対策のためにも、歩きつづけようと思う。

マダムこおろぎ、脚は6本。まだまだ飛び跳ねられそうな気がしています。

 

 

 

グラスの力

クリスタルがぶつかる音はもちろんよいのですが、

ガラスの重いグラスも素敵です。

昭和の懐かしいグラスなど、ワクワクします。

さて

食卓を作るとき、脚付きのグラスは必須。

この「脚」と言うのは椅子でもテーブルでも、人間でも同じ。

どのくらい隠すか、見せるか。

カジュアルになるかフォーマルになるか、脚できまります。

今回の食卓美学のレッスンでは、ジンジャエールとホットワインを

グラスで楽しみました。4個、5個、6個と揃えた日もありますが、今は気に入ったものがあれば、1個、あるいは2個ずつ買うようにしています。

家庭での家族の食事でもお客さまのおもてなしでも、みんな違うグラスというのも楽しいものです。

古いグラスの展覧会、やりたいな・・・と今考えています。

あくまでも懐かしい古いガラスのグラスに限って。

 

 

 

 

食卓美学コース再開

休講していた講座の再開。

自分の賞味期限は自分で決めるものではないと

二日続けて大先輩お二人に言われました。

久しぶりに食卓美学の講座を開催してみて、生徒さんたちの

笑顔、表情、作品づくりへの熱意などに触れ、

消費期限の延長を決定。生徒さんたちのラブコールがあるうちは

元気にお教室も続けようと思います。

今日は、素敵なクリスマス用の陶器のオブジェを使った食卓の装飾と、20分でパーティー料理。

北海道が誇るノースファームストックのパスタソース2種に

ちょっぴり手を加え、サラダはマリネも増量したり、アレンジしたり。パンケーキも工夫して。簡単カクテルも2種。20分でこれだけできました。

植物装飾には、

松、イチイ、ヒムロスギ、ユーカリ、ヒバと緑の枝は5種類。

花は葉牡丹。

元気がでるカボチャと金柑をアクセントに。

嬉しいことに今年はヤドリギも。

時間がなくてもなんとでもなります。

誰にとっても1日は24時間。

食べる場面を大切にしてこそ

私たちはヒトではなく人間なのだと痛感した一日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

必然的なこと

1985年に花と料理を同時に教える教室を開講した。

当時北海道にはなかったかと思う。

全国的にも多くはなかったと思う。

その1年後、生活文化研究所を旗揚げ?した。

コピーライターやデザイナ−、プランナーなど当時の売れっ子仲間が周囲にいてくれた。

よい時代だった。

だが、時は流れ、モノもヒトも変った。

その間、花も料理も学問の対象にして新しい領域をつくろうと

関西で悪戦苦闘した。

大学にも籍を置き、二足も三足もワラジやブーツを履いていろいろなことをやってきたが、やっと最近、周囲を俯瞰し、自分の立ち位置が見えてきた。

そして今日は特別な日だった。

大学の講義のあと出向いたのは電車通りのトイロ。

単位面積、いや単位体積あたり、最高のギャラリーであり、カフェでもあるトイロ。そこで筒渕信子先生のランチ。

何ヶ月かに一度、短い期間のランチのご提供は多くのファンを魅了してきた。だがそれも今回が最後とのこと。

愛知県からのファンとグラフィックデザイナー、心理学者と4人で乗り込んだ。

美味しいランチで話しは弾んだ。

今またよい仲間に恵まれて時をたしかに刻んでいる。

紆余曲折の30余年は意味があったのだと思う。

来年2月、生活文化研究所はリニューアルオープンする。

なにをどうリニューアルするかは思案中だが、

こんな年齢になってまだ夢を見ることが出来るのは

仲間あればこそ。

背中を押され、手を引かれ、褒められ、おだてられながら

もう少し歩いて見ようと思う。

 

 

あまり理解されないが、出不精。

会合は苦手。

パーティーの企画も運営も大得意だが

自分がなにかに参加することは少ない。

ママ友というのも特になかったので

お友達とランチというのもない。

そんな私が、最近、極々まれに出かけた先々で、

バタバタと会いたかった人や、

懐かしい人たちにたてつづけに会った。

ありえない。偶然としてはこわいほどの確率。

非科学的で恥ずかしいが引き寄せたり、

引き寄せられたようにさえ思う。

同じように、このトンネルは抜けないのではないか、

この夜は明けないのではないかと思うことにも

ある日突然、陽がさす。

必要な時間、というのが何にでもある。

必然ということはきっとある。

撒かない種は絶対に生えない。

とはいえ

撒いた種は必ず生えるとは限らない。

生えた種が育つとも限らないが、

育つべき種はしっかり育つ。

 

当たり前のことが急に見えてきた。

 

 

初めて訪ねた写真のsabitaは、

これからひっそり隠れ家にしようと思っていたら、

ご挨拶されたオーナーは30年前のお知り合いだった。

そのときの種が今頃芽をだすのか。

長い休眠には必ず意味がある。

農学部出身の私にはよくわかる。

トシをとるということは実にすばらしい。

それが分からず、生意気なことを言い、

老体を「劣化」とはやし立て、

大人の意見を「老害」とひとくくりにする若者たちがいるとしたら、なんと気の毒なことか。

 

老いた先輩から学ぶが勝ちーそう思う若者がいるなら

必死に応援しようと思う。